松の内とはいつまでを指すのか?|意味や由来もあわせて知っておこう!

生活全般
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お正月の三が日が過ぎた後に門松やしめ縄などの飾りは、いつ片付ければ良いのか悩みます。

実はお正月には松の内という期間があって、その期間が終わる時に片付けるのが一般的だといわれていますが、松の内という言葉をご存知でしょうか。

言葉のなかにはその意味をよく分からずに使っているものもあります。

松の内という言葉もそのひとつではないでしょうか。

もちろん、松の内の意味を知らなくてもお正月はやって来ます。

しかし、その意味を知って過ごす事が出来れば、心構えが違ってきますし、何より日本の昔からの伝統行事についてきちんと知っておくのは日本人の姿ともいえそうです。

松の内とは?

松の内とは「門松を飾ってある期間」という意味で、門松などのお正月飾りを飾る期間を指し、松の内が過ぎたら門松を外します。

門松は歳神様が道に迷う事なく家に来るための目印とも、家に年神様の滞在を示す印ともいわれています。

また、この期間は年賀状の期間でもあり、松の内を過ぎたら、寒中見舞いへ切り替わります。

なお、松の内の期間は全国の地域によって異なり、お正月飾りを外す日は地域によって異なります。

主に、関東と関西で別れていますが、さらにその中でも細かく地域差があります。

ちなみに一般的に「正月」と言うと松の内を指すことも多いです。

松の内はいつまで?松の内の期間は?

1.松の内の始まりの日

松の内の始まりの日は意外と早く12月13日です。

門松は12月13日から12月28日までの間であれば、いつでも飾ってよいとされています。

なお、12月29日は月末の苦(く)ということで「苦を待つ」、12月30日及び31日は正月を迎えるのに慌ただしく準備をするのはよくないということから28日までに飾るようになったそうです。

2.松の内の終わりの日

松の内の終わりは地方で異なっており、関東地方は1月7日、関西地方は1月15日が松の内の終わりとなっています。

なお、関東地方も松の内の終わりは1月15日だったのですが、江戸時代頃から1月7日に変わっていったようです。

このように松の内が地域によって違うのは、以下のような理由があるからとされています。

元々、松の内は小正月である1月15日とされていました。

そして、年神様にお供えをしていた鏡餅を下げて食べる鏡日開きを1月20日に行っていたのですが、徳川家光が4月20日に亡くなったことで20日という日を忌み嫌うようになった徳川幕府が、1月20日から前倒しをして1月11日に鏡開きを行うことにしました。

これにより関東地方を中心とした地域では、松の内も1月7日に変更されたといわれています。

また、振袖火事と呼ばれる明歴3年の1月18日から3日に渡って燃え続けた大火を教訓に、幕府により7日を以て飾り納めをするという通達があったためともいわれています。

このように関東では1月7日までを松の内とする流れが生まれたのに対し、幕府の影響をそれほど受けなかった関西地方では今も元からの1月15日を松の内とする地域が多いようです。

松の内が明けるとは?

松の内の期間が終わることを「松の内が明ける」といいます。

関西では1月15日で松の内が明けるのですが、この日は旧暦のお正月の日(小正月)にあたります。

この松の内が明ける時期は地域で違いがありますが、共通していることは松飾りの片付けをしたり、歳神様にお供えしていた鏡餅を鏡割りをしていただいたりとお正月のお祝いも終わりを迎えることになります。

松の内に法事をするのは良い?悪い?

松の内の時期は歳神様がこられているからあまり好ましくないのではないかと考えがちですが、法事というのは仏様を供養する日ですし、汚れた行為では無いため松の内に行っても問題ありません。

一般常識的な範囲で1月3日までの三が日に関してはお坊さんもお正月をされているだろうし、法事に参加していただきたい人の都合を考えると正月早々では迷惑をかけるため、外すのが良いと思われます。

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