働き方の改革を迫られた日本社会
1986年から起こったバブルで、日本は経済大国の地位を確立しました。
当時、ニューヨークの一等地を日本企業が買い漁り、各国に広がるブランドショップは日本人であふれかえっていたのです。
それから30年程経って、日本人の地位は、世界的に見て、明らかに低下しています。
代わりに中国が勢いづき、東京の土地やマンションを買い漁り、今やその勢いはとどまることを知りません。
もう日本人は日本の土地を買いことができないのかというくらいに海外勢に浸食されているのです。
そんな中、これまでの日本人の働き方を否定する「働き方改革」といわれる法案が2018年6月に可決されました。
ゆとり世代やさとり世代はこの法案を受け入れることができるかもしれませんが、バブルを生き残った団塊世代の人たちは、すんなりと受け入れることはできないように思います。
定年雇用を心酔し、骨を埋めるつもりで愛社精神を語る。
転職する者を反逆者と罵り、年功序列に賛同する。
これらがある意味、これまでの日本文化の根底的な考えでもあったので、誰も疑うことはありませんでした。
しかし、そんな考え方は時代と共に「古い」とされ、出来高制の導入や成果主義といった、個人の能力に比重が置かれた考え方に移行してきたのです。
このような流れは、世界で見れば決して特別なことではないのです。
むしろ、日本の考えが遅れているのです。
残念ながら、日本は世界から「勤勉な国家」ではなく、「生産性の低い国」と認識されています。
だからといって、日本が終わったわけではありません。
日本で活躍している人はたくさんいますし、これから活躍する場も数多くあります。
しかし、過去のやり方にこだわっていると、うまくいくものも失敗してしまいます。
今の時代には、過去のやり方は通用しなくなってきているのです。
たとえば、いまでは死語となった「飲みにケーション」に始まり、何の戦略もない飛び込み営業など、昔は常識となっていたものが、いまは非常識の扱いです。
モラルの制限が厳しくなったことで、パワハラ、モラハラなどと言われてしまう時代にもなりました。
インターネットの出現で、人間が行うよりもミスをしない機械が行ったほうが確実という見方が常識となっています。
このような時代の流れの中で、どう生きていけばよいでしょうか。
いまの会社にしがみつき、他人がクビを宣告される度に「次は、自分かも・・・」と怯える生活を余儀なくされますか。
それとも、いまから会社に縛られない生活基盤を構築する生き方を選択しますか。
会社に縛られない生活基盤を構築する
自分の存在価値を発揮する場所は会社だけではありません。
仮に会社で活躍できなかったとしても、会社とは別に収入を得られる手段を持っていれば、それはそれで楽しい人生ではないでしょうか。
多くの人にとっては自分を雇ってくれる「組織」での生活が、人生の大きなウェイトを占めています。
したがって、会社で十分な評価を得られないと、自分の人格や存在までもが否定されたような気になってしまうのです。
ただ、少しまわりを見渡せば、会社以外にも収入を得る選択肢が、実は無限に存在しています。
たとえ会社に属したとしても、私たちはその組織に縛られることなく、もっと自由に、収入を増やすことができるのです。
しかも、「誰かに雇われる」ことなく、「個人で稼ぐ」というスタイルで。
そして、ラッキーなことに、時代は「個人で稼ぐ」には追い風になってきています。
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